1990年代を知っていると、この都市伝説も聞いた事があるのではないでしょうか。
歳がばれそうですが、自分自身も学生のころ、同じ教室にガングロ女子が多数いたのを記憶しています。

日焼けサロン
ある女性の話
あるとき、親友が日焼けサロンで肌を焼いてきたのをきっかけに、彼女も日焼けサロンで肌を焼くようになった。

念願の小麦色の肌。

ムラなく仕上がった滑らかな肌。
気分も上がり、彼女は満足していた。
「もっともっと日サロに通おっと。」
彼女はその後も、何度も日焼けサロンに通い続けた。
ところがある日、彼女は体調を崩してしまった。
食欲がなく、身体の内側に鈍い痛みが広がる――。

不安に思った彼女は病院を訪れた。
そこで、医者に驚くべきことを告げられる。
「これは……ひどいね。ちょっともう、手の施しようがないよ。」

彼女は驚いて、
「どうして?」
と尋ねた。
「何度も機械で日焼けしたことで、内臓も生焼け状態になってしまって、もう戻せないんだ。」
医者は首を横に振った。

「ステーキを焼いたら元に戻せる?戻せないよね。」
日焼けサロンが一気に流行ったためか、その装置に対しての疑心感から流行ったのではないかと思います。
もちろん、そんな都合よく生焼けになるなんて事はないですが、低温火傷を起こす危険性はありますし、そういった事故もあります。そう言った事も背景にあるのかなと。
元々は、アメリカで発生した都市伝説とのことですが、ピアスの白い糸の話の発生や流行り方が似ているのではないかなと個人的に思います。
その世代毎に思い入れみたいなものはあると思いますが、90年代はオカルティックな話題に尽きなかったですし、明るさの中にどんよりした重い空気が世の中に纏わりついていたように感じます。
その中で真冬でも真っ黒なガングロギャル達はある意味時代に合っていましたが、多くの大人達にはいびつに見えたのだろうなと思います。
そのギャル達を生み出す装置に対する疑心感は、都市伝説が生まれる背景としては充分過ぎるかと

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